アミはそのうちにトーヤくんが好きになります。
そして、トーヤくんにとってもアミはなくてはならない存在になります。
でも最後には、トーヤくんは、アミと出会う以前につきあっていたモトカノと、また付き合うことになるのです。
そのモトカノは、トーヤくんがいないと生きていけないのでした。
それを知ったアミはもちろん悲しくて落ち込むのですが、そこでこそ本領発揮。
電車のホームでばったりと二人に会ってしまったアミは、仁王立ちしてVサインをして二人に微笑みます。
「大丈夫。私はひとりでも大丈夫。だって、私は立ち直り学の開祖!」
とアミは心の中で自分に言い聞かせるのです。
誰かが支えてくれなければ、一人で立てないなんて人間にはならない。
誰かが見ていてくれなければ、幸せになれないなんて人間にはならない。
これがアミの強い決心です。
さて。
ボツになった小説なので、原稿も取っていなかったし、私はそのまま忘れてしまいました。
この小説は私自身もつらい日々にあったころに書いたものです。
当時の自分はトーヤくんでした。
世間の幸せから取り残されてしまったように感じた自分。
そして、アミは、実は未来の自分でした。
ネクラになってしまった人に一所懸命教えて、なんとか明るい自分を取り戻してもらいたいと頑張るアミ。
二人の登場人物に、私の中の落ち込んでいる自分と、それをなんとか立ち直らせたい自分を投影していました。
そして、この小説を書いている間は、私は勇気が出たのです。
そして、トーヤくんにすがらないと生きていけないモトカノは、私がなるかもしれなかった、別の姿なのです。
最後のアミの決心は、私の幼児期の決心です。
もちろん、小説を書いた時にはそのことはわかりませんでした。しかし、今ではよくわかります。
3歳のときに母親がいなくなったので、私はこの決心をしたのでしょう。
もし、私が母親に包まれて幸せにくらしていたら…私はとてもわがままで手におえない人間になっていたのでしょう。
モトカノのように、誰かが支えてくれないと、一人で立てない人になっていたのでしょう。
すべての環境のおかげで、いまの私があります。
手に入らなかったものは、結局、私にとって必要のないもので、
私に与えられた環境こそが、私に必要なものでした。
すっぱいブドウの狐を称賛するアミは、私の人生を肯定する存在なのです。
(つづく)